外伝「最後の葬儀屋」
昔、この村にも死があった。
人は老い、病み、
いつか必ず息を引き取った。
村の外れには、小さな工房があった。
そこに暮らしていた男は、
父親から棺の作り方を教わった。
木を選び、
削り、
組み上げる。
死者の身体を清め、
一番きれいな衣を着せる。
そして最後に、
遺された家族とともに棺の蓋を閉じる。
男の父はよく言っていた。
「俺たちの仕事は、死者を送ることじゃない。」
「残された者に、別れをさせてやることだ。」
男には、その意味がよく分からなかった。
ただ父の背中を見ながら、
同じように棺を作った。
やがて父が死んだ。
その棺を作ったのも、男だった。
父を棺へ入れ、
自分の手で蓋を閉じた。
それから何十年も、
男は村人の最後を見送った。
しかし、ある頃から。
村で奇妙なことが起こり始めた。
人が、死ななくなった。
最初に死ななかったのは、
病に伏していた一人の老婆だった。
次は、崖から落ちた男。
その次は、
生まれつき身体の弱かった子供。
誰も死ななかった。
村人たちは喜んだ。
当然だった。
親を失わなくていい。
子を失わなくていい。
愛する者と、いつまでも一緒にいられる。
葬儀屋も喜んだ。
仕事がなくなることなど、
どうでもよかった。
「これで、もう誰も悲しまなくて済む。」
そう思った。
それから百年以上が経った。
工房は朽ちていた。
道具には埃が積もり、木材は黒ずみ、
壁には、もう使われることのない葬具が掛かっていた。
その中央に、
一つだけ棺が残されていた。
ある日。
村を訪れていたシキが、
その棺を見つけた。
「これは?」
老人となった葬儀屋は答えた。
「棺だ。」
「知ってる。」
シキは埃の積もった蓋を撫でる。
「どうして残してる。」
老人はしばらく答えなかった。
「最後に作った棺なんだ。」
「誰のために?」
老人は笑った。
「俺だよ。」
シキは老人を見る。
百年以上前。
まだ人が死んでいた頃、
老人は自分のために一本の棺を作った。
だが——
使う日は来なかった。
「捨てないのか?」
シキが聞いた。
老人は棺を見つめる。
「何度も捨てようと思った。」
「なら、どうして。」
老人は静かに答えた。
「人が死ななくなったからって、
別れがなくなったわけじゃない。」
親しい友は村を出た。
愛した女とは別れた。
息子とは何十年も口を利いていない。
家族だった者が、
いつしか他人になったこともある。
誰一人、死んではいない。
それでも——
失ったものはいくつもあった。
老人は、棺の蓋をゆっくりと撫でた。
節くれだった指が、古い木目をなぞっていく。
「昔はな」
しばらくして、老人は口を開いた。
「誰かが死ねば、みんな泣いた」
「泣いて、名前を呼んで、手を握って……それでも最後には、わしがこの蓋を閉じた」
掌が、棺の上で止まる。
「残酷な仕事だと思ってたよ」
老人は小さく笑った。
けれど、その目は笑っていなかった。
長い沈黙のあと、老人はもう一度、棺を見た。
「でもな」
「終わりがあるってのは――」
言葉を探すように、老人は目を細めた。
「案外、やさしいことだったのかもしれんな」
シキは答えなかった。
答えられなかったのかもしれない。
工房の外では、いつもと変わらない村の声がしていた。
笑う声。
誰かを呼ぶ声。
明日の約束をする声。
百年前と、何も変わらない声。
ただ、この村ではもう、
誰も最後の別れを知らない。
シキが工房を出たあとも、老人はそこにいた。
そして工房の奥には、
百年以上、一度も開かれることのなかった棺がある。
いつか誰かを送り出すために作られた箱。
けれど今はもう、
誰のためのものなのかさえ分からない。
老人はその蓋に手を置いたまま、
静かに目を閉じた。
まるで、遠い昔に失われた何かを
弔うように。
外伝「最後の葬儀屋」 終
